今所属しているチームでみんなが意欲的にチャレンジをしたり、助け合ってていいなーと思いつつ、ふと何がこの雰囲気を形作っているんだろうと考えてみました。
過去のこんな雰囲気にならなかったチーム
過去所属していたチーム全てでこういう意欲的な雰囲気が発生したかと言われると明確にNOです。
チームの大多数が(私も含めて)自分の仕事を出来るだけ相手に押し付ける方向になっちゃったケースもありました。
その時はどういう状況だったかなーって思うと結構わかりやすくて
- 業務が逼迫していて残業放題。しかも一部に偏っていた
- 人増やしまくり中。3ヶ月で倍の人数になるが3回くらい続いた
- 全体が見えない。誰も見えてない
という感じ。逆ベストプラクティスって感じですね。
このプロジェクトの中にいた時の自分の心境を思い返すと
- 業務が逼迫していて残業放題。しかも一部に偏っていた
これがやっぱり意欲的になるのを阻害していました。
偏っていた理由もその人しか出来ない仕事が多かったからなんですよね。
そしてもっと言うとその人しか出来ないってのは集団の幻想もしくは自分たちがやらない免罪符みたいな感じで実際はやれば出来たと思います。
仕事でタスクを引き取る余裕がある時も「うわーこれ引き取ったらこの領域は自分が今後面倒見ることになるんだろなー」って思って言い出せない感じがありました。自分しかできない仕事が増えるのが忌避する感じです。
この時は「これはプロダクトオーナーの仕事ですよね?(開発者兼任SM)」とか「これは開発チームでやってください(PO)」とかよく聞きました。怖いですね。
書いてて懺悔室みたいになってきたな。
今のチーム
今のチームは
- 業務はそんな逼迫してない
- 人の変動はままある
- 大体みんな全体が見えてる
って感じです。
最初あまり意欲的ではなく難易度の高いタスクを忌避する傾向にあった人も、いつの間にやら勝手にチャレンジするようになってました。私も安心して難しいタスクにチャレンジ出来てます。
何故だろうと振り返ってみると
「普段から過負荷じゃないからこういう時に負荷がかかってもまぁ耐えられるかも」とか
「難しいことに詰まってたら誰かが助けてくれそう」とか
「自分にしか出来ない領域になってもみんな積極的に学んで引き剥がしてくれそう」
みたい感覚がありました。
自分個人としては成長はしたいけどしんどい思いをしたくないので、しんどい思いをしないことがある程度見えてると、成長する方向(難しいタスクやってみる)に舵を切りそうです。こういうの安全って言うんですかね。
また助け合いは
- チームとして何を達成しないといけないかが大体みんなわかっている
- (当たり前だけど)誰かを助けるときに今抱えているタスクは放棄して良い
- まぁまぁ仲良いのでチームの人が苦しんでいると可哀想
みたいなところが促進してくれてそうです。
結論
月並みですが、
- 普段から過負荷じゃないし、チームでしんどさを分散してる(安全)
- みんな全体が見えてる
- 仲良い
みたいな感じなのかなと思った次第です。
以上、スーパー久しぶりに1年をふりかえる系ではない記事でした。